外伝2 - 紅 蓮 - 前編

作:バランスさん



 二本の杭の間に渡された板切れ。その上に間隔を置いて並べられた3個の空き缶。
ほぼ肩の高さ、距離にして10mもない。
 慎重に照門と照星を合わせて空き缶の一つに狙いを定め、トリガーを引き絞った。
乾いた発射音が響き、銃口から硝煙が漂う。さらに、立て続けに2発。
全て、外れ。
わずかに一個の缶だけが脇をかすられてはじけ、杭の下の地面に転がり落ちた。

「くそっ」
毒づいて右手の拳銃―小型のリボルバーを振り上げて、足元に叩き付け―

「何やってる。武器を粗末に扱うな、グレッグ」
傍らの戦車の上で昼寝をしていたシルバーが、顔だけをこっちに向けている。
グレッグは寸前のところで手を止め、リボルバーを右腰のホルスターに収めた。

「武器にあたるなよ。命中しないのはお前の腕だ、その銃の照準はきちんと合わせ
てあるぞ」
「―ごめん」
「さっさとメシを済ませろ、とっくに冷えてる。案外、空きっ腹で目がかすんだの
じゃあないか」
一転してにこやかな表情になって笑うシルバーに背を向けて、グレッグは焚き火の
そばに手付かずで置かれた豆の缶詰へと向かった。

「食い終わったら久しぶりに町へ戻ろう。ヒットカウンターもいいかげん廻って
るし、補給もしなきゃならん」

(町か)
グレッグの心はその響きに少し踊り、そしてほんの少し曇った。
町は嫌いじゃない。新鮮な水、美味い食い物。シャワーだってある。
だがいま拠点にしているのは、グレッグにとって辛い記憶を呼び覚ます、
いわく付きの町だ。

パインブリッジ。
5年前までグレッグが鉱奴として、絶望的な無知と搾取のもとで生きていた町。
今は解放され、商業都市としてごく普通に栄えている。
 フェルナンデスの武力支配が終わった後もコンピューター工場の発掘は続き、
ハンター達にとっては川の南にあるぺトラの石油施設同様、無くてはならない場所
となっていた。

 だが、ケイはもうそこに居ない。巣守りとしてだけでなく、多分幾らかは本当に、
女としてグレッグに安らぎとぬくもりを与えてくれた、たった2週間だけの恋人。
銃声を産声に、涙を羊水として今のグレッグをこの世に生み出してくれた、
もう一人の母。彼女の行方はもう、辿りようもない。
 4年前、1年ぶりにパインブリッジに入ったグレッグは密かにケイを探したが、
彼女は既にとあるトレーダーのキャラバンに加わって町を出た後だった。
女子作業場の仲間だったと言う酒場女が、そう教えてくれた。
町の外に出るのは怖いと泣き叫んでグレッグとの旅立ちを拒んだケイが、トレー
ダーに加わった―その事にグレッグはショックを受けた。
別の男の匂いを嗅ぎ取ったような気がした。自分よりはるかに強く逞しく、
説得力と包容力に満ちた、大人の男。

ひどい裏切りだと思った。

その夜生まれて初めて飲んだ酒は、グレッグに破壊的な効果を及ぼした。
呼吸困難と嘔吐、発赤そして心悸亢進。飲んだ量に見合わない激しい症状は、
グレッグがアルコールをまるで代謝できない体質である事を示していた。
どうやって宿に帰ったかは覚えていない。朝になって、シルバーに頬を叩かれて
目覚めた。多分彼が昏倒したグレッグを引きとって宿に運び、中和剤を投与して
くれたのだろう。
戦車に乗りこんで出発したものの、夕方近くまで頭が重く吐き気がして、まるで
狩りの役に立たなかった。以来、酒は口にしていない。


 操縦席のシルバーが話しかけてきた。
「町についたらお前に合った良い武器を買ってやろう。あと、もっとハンターらしい
服もな。お前とも5年になるが、まあ合格点をやっていい」

「ええ?俺、いまだに拳銃もライフルもまるで当たら―」
「他は立派なもんさ、自信を持てよ。迫撃砲をいきなり扱わせてあれだけ上手かった
ヤツは他に知らん。次の狩りからはそろそろ戦車砲を手動でやらせてみてもいい」

どんな道へ進もうとお前の自由だが、ハンターになるならオフィスへバッチリ
推薦してやる。
シルバーはそういって笑った。


(……重いハンデだな)
銀髪のハンターの胸中はしかし、表面の明るさとは裏腹に苦く暗かった。
鉱奴としてほぼ10年間、生き伸びる為とはいえ手の届く距離の地面ばかりを見て
這いつくばって暮らしていたグレッグには、おそらくある程度以上離れた空間内での
位置関係を直感的に把握する能力が、充分には育っていないのに違いない。
照準自体は慣れれば合うようになるだろうが、近距離の目標を捉えるのに時間が
掛かりすぎている。

 戦車砲や車載迫撃砲はいい。最低でも照準器の数値やレティクルが敵の位置を
正確に示してくれるし、優秀な火器管制システムを積んだ戦車―例えばこの、
「ウルフ」のような―なら、後はタイミングを見計らう勘と経験だけで事足りる。
車載型重火器の射撃は一種のシミュレーションだからだ。

 だが戦車を降りて、あるいは戦車無しで戦う事が多くなるはずの新米ハンター
に携帯火器での射撃の腕が無かったら―まず絶望だ。
無論のこと当座をしのぐ打開策はある。
だがそれは、今後もグレッグを射撃に関しては欠陥を持ったままのハンターとして
しまう可能性があった。

「シルバー!!久々のご帰還だな!」
パインブリッジの町から飛び出してきた6輪装甲車から、ハンター仲間がすれ違い
ざまに拡声器で呼びかけて来た。車体の上には数人の傭兵―徒歩で戦うソルジャー
達が便乗している。オフィスから委任を受けてやや大掛かりな作戦に向かうところ
だろうか。
「……ああ、しばらくまたこの町で世話になる。大所帯のようだが、そっちは長く
なるのかい?」
「多分な!出掛けにあんたに会うとは幸先がいい。あやからせてくれ、シルバー」
「いいとも!良い狩りを、ダグ!」
二台のクルマが巻き上げる砂塵の軌跡が、西日の中を次第に離れていった。

この町でシルバーといえばある種の名士だ。
5年前の解放作戦では、単身「ウルフ」を駆って防壁内に突入し、フェルナンデス
一味をほぼ壊滅状態に追いこんだ。
追って駆け付けたロングフォードからの部隊は、殆ど戦闘らしい戦闘をしていない。

消息知れずだった昔の相棒カイルの生存を知っての志願ではあったが、結果的に
キルロイ・シルヴァーバーグの名は、パインブリッジにおいて伝説の一部となった。
ことに今も市民として町に残っている、かつての鉱奴たちには、まさに英雄として
崇拝されている。
彼自身はこうした事に関してごく謙虚な男なのだが、人々の好意や尊敬はやはり
気持ちがいいのだろう。最近はどの町よりも、パインブリッジに滞在する事が多く
なった。
グレッグとしても、もはや自分の個人的な感情を理由にそれに異を唱えるほどには
幼くもない。それにシルバーにはここをねぐらにする理由が他にもあるのだ。

防壁の外では工事が行われていた。地表から大きく掘り下げられた穴に沿って、
コンクリートを流すための型枠と、鉄骨が組まれているのが見える。
手に入る限りで最良の資材を使っているようだった。電子部品の発掘と販売が公正に
行われるようになって以来、町は相当に潤っているらしい。大型車輛のための駐車場
ができるのだと言う話だ。

工事現場のそばには、古い鉄骨組みの痕跡が残っている。
かつてシルバーが愛車の主砲で吹き飛ばした監視塔の残骸だった。それに気づいて
グレッグの口元が少しほころんだ。
(俺はあの日、あそこに居たんだな)
砲塔ハッチから乗り出した上半身を残骸に向けて、ハンター式の敬礼をとった


ケイに。

新米の少年鉱奴ジョッシュをかばって死んだ、カイルに。
そして他の誰にでもなく―あの日までの、鉱奴グレッグに。


        * * * * * * * * *


「―グレッグ……グレッグ、と。どうにも弱ったな。」
吹き飛んだ顎の一部をなにかの合金で補綴した不気味な顔に、人のよさそうな
困惑の表情を浮かべたオフィサーがそう繰り返した。

「キルロイ、君の希望とあらば、ロングフォードのオフィスとしてもこの少年を
君専属のハンター助手として期間登録する事には全く異存ないよ。
だが、グレッグなんて名前はごくありふれてる。ウチの死んだ爺さんも同じ名前
だしな。なんとか登録書類の残りの欄を、きちんと埋めたいんだが」

度の入らない淡褐色のレンズを嵌めたメガネ越しに自分に注がれるその視線と
彼の穏やかな声に、かすかな憐れみの匂いを嗅ぎ取ってグレッグは唇を噛んだ。
シルバーと出会ってからこの数日、自分がひどく子供に思える。
ケイと一緒に寝ていた2週間、いっぱしの大人のつもりでいた気持ちは嘘のよう
に消えうせていて、その落差がグレッグを不機嫌にさせた。

「エリック。こいつは物心つく頃にはもう親の顔も知らずに、パインブリッジで汚染土
の中を掘り返させられてたんだ。便宜上つけられた名前以外に、なんの自己証明
も持ってない」

(畜生)
まだ包帯の取れない左肩がしくしくと痛む気がして、グレッグは自由に動く方の
腕を廻し、包帯の上から傷に手を当てた。

 世間の普通の人間には、みな姓があるのだ。
シルバーが「キルロイ・シルヴァーバーグ」であるように。
カイルが「カイル・ハモンド」であったように。
親の代から自分へ、運が良ければいつか腕に抱くその子供へと受け継がれて綿々と
続いていく、家族の名。血の系譜の名前。

(俺には、ない)
(親も兄弟も知らず、何処で生まれたのかも判らない俺には、カゾクの名などない。
遠い日に「グレッグ」じゃない本当の名前と共に、エイエンに失われてしまった)
―かすかに覚えているのはただ、母の乳房と腕の温もりだけだ。

「あーあ。泣かせちまったぞ、キルロイ。君がそんな事を言うから、ほら」

―止してくれ!
 泣いていると自覚させられた事で、抑制のタガが外れた。
どんどん頬の筋肉が震えだし自制が利かなくなるのが判る。必死に食いしばる歯が
なおもがガチガチと鳴った。多分そろそろ、顔が真っ赤になっている事だろう。
最初のしずくはもう顎の辺りまで流れ落ちて冷たくなり、鼻の奥がつうんとして
嗚咽がこみ上げ―

「バカ野郎」
シルバーがグレッグの涙と洟で汚れた顔を、糊のきいたシャツの胸の辺りに押し
付けるようにして抱きしめた。

「泣くやつがあるか。だがお前の気持ちはわかる。涙が止まるまでこうしててやる。
……エリック。ここに辞典か、そうでなけりゃなにかの物語の本でもないか?」

「馬鹿をいうな、そんな物があったら一財産だ。大破壊前のちゃんとした文化的
遺産に、どれだけの価値があると思ってる」

「名付け親とかいうものがあったそうだ、昔はな。便宜上の名前なんかじゃなく、
ちゃんとした儀式にのっとって名前をつけてやりたい。―こいつに」
「なるほど……ちょっと待て、先週トレーダーから俺が個人的に買い取った雑誌
があった。あの中になにかいいものがあるかも知れん」
シルバーの古なじみらしいそのオフィサーが引っ張り出してきた古い雑誌には、
半分ちぎれた表紙に古めかしい戦車のモノクロ写真が印刷され、ゴツゴツした書体の
ロゴがあしらわれていた。


Armor&――
後ろ半分はちぎれて判らない。


「よさそうな本があるじゃないか」
シルバーは微笑んだ。
「その本を『聖句』と共にめくって、開いたページに書かれていた名前の中から
選んでやろう。オレたち二人がお前の名付け親になる。
誰にも文句をつけられない、お前だけの名前だ。どうだ?」
後のほうは腕の中の少年に向けた言葉だった。
「ありがとう。でも……姓だけでいい。俺はグレッグだ。
カイルが、ケイが呼んでくれたそれが俺の名だ―それは変えたくない」
「よし」
男たち二人は机の上に伏せられた雑誌に手を乗せた。


シルバーの口から即興だが彼の脳髄を振り絞った言葉が流れ出す。「名付け親」
の儀式、と言う概念は知っていても、その詳細な内容についての記録は殆ど残って
いないのだ。シルバーはこの時代の平均的な男よりも教養があるほうだが、詩才の
ほうまではそうそう手が廻らない。

「ここにわれら二人、誓わん」
「……我ら二人、誓わん」
「今よりこれなる少年のために、―魂の父となり」
「魂の父となり」
「古の書物、『弾倉(マガジン)』と呼び習わされた印刷物に刻まれし、数多の男女
の名よりその一つを呼びだし、彼に与えん事を」
「一つを呼び出し、彼に与えん―どうにも物々しいな、これは」
「バカ野郎、俗辞を挟むな」

ハンター達の間で伝えられる言葉の中でもっとも意味が不条理で、それゆえに
常人が到達し得ぬ叡智を体現した聖なるものとされる言葉の一つを、二人は
高らかに唱えた。

「走らぬなら」
「はがしてしまえ」
「装甲を!!」



雑誌の1ページがおごそかに開かれ、男たちは大きな活字で印刷された一つの
名前を指差し、それと定める。

「クルト……いや、カートかな……。マイヤー、か」
「今と姓名の表記が同じならこっちが姓だろう」

グレッグ・マイヤー
エリックは手もとの登録書類に、そう書きこんだ。
「グレッグ・マイヤー。いい響きだな。どうだ?」
グレッグはシルバーのシャツから顔をあげ、はにかみながらうなずいた。

シルバーがその目を覗きこみながら言った。
「お前の名をつけたのはオレ達だ。誇りを持って名乗れ。そして生き永らえて
いつか家族をもち、子を残せたら、その子がマイヤーの姓を受け継ぐ。
お前が初代の『マイヤー』になるんだ。いいな?」
異存などあろう筈も無かった。今ようやく、初めてフェルナンデスの支配から
完全に逃れて自由な人間になれたのだと、そうグレッグは思った。

グレッグ・マイヤー

その日から一体何度、口の中で繰り返しその名を唱えたことだろうか?
嬉しいとき、また辛いときにも、誇りと自負と感謝を胸に湧き上がらせながら―


        * * * * * * * * *


……立ち上がれ 恐怖におののく人々のため
マシンにはオイルが流れ エンジンは吼える 未来の為に闘うのだ

古い世界は打ち砕かれて見る影もない
勇気と誇りあるものよ 装備を携え乗車せよ 乗車せよ 

今は瓦礫の只中より発つとも われわれは主砲を撃つのだ―



 照明を落とした店内にピアノの音が静かに、だが力強く流れる。
金属弦を鍵盤に連動したフェルトのハンマーで叩き、木製のボディーに共鳴
させるこの古い楽器には、なにかしら人の心をひきつけて止まない物がある
ようだった。

 クラブ「シュトリヒ」はこの町でも高級な部類に属する店だ。
パインブリッジでただ一つのこのピアノと、それを我流ながら巧みに奏でる
魔法の指の男・タイス。それに店の女主人でもある歌姫、ワンダ。
他にも数人の女達がおのおののボックス席に侍って客の相手をしているが
同種の店にありがちな淫靡な風は微塵も無く、その種のサービスを欲する客
との間にトラブルも無いのは、店の奥の1番良い席をしめているシルバーの
存在のなせる業だった。

 そのシルバーは、ステージで歌うワンダを満足そうに見つめている。
まだ早い時間なので店にはシルバーとグレッグ以外の客は居ない。
ワンダはそろそろ30代も半ばを過ぎた年の筈なのだが、卑俗な所の無い
美しい容貌と張りのある声に、未だ衰えの影はない。
 彼女は、ハンター達がオフィスを組織した最初の頃に歌われた古い歌を
少しスローなテンポで、歌うと言うよりは祈るように伴奏に乗せる。

(今日は一段と良く鳴らしてるな、タイスのヤツ)
いつもと特に変わる所の無い演奏なのだが、グレッグはそう思った。
古くなって調律の合いにくくなった楽器を使うことで生まれる微妙な不協和音が
遠い時代に「ホンキイトンク・ピアノ」と呼ばれたものに酷似した効果を生じて
いるのだが、勿論グレッグにはそれを知る由も無い。

 ワンダがシルバーのいわゆる愛人であるとグレッグが知ったのは、しばらく
前のことだ。
実の所二人はシルバーがまだほんの駆け出しだった頃からの古い馴染みだが、
初手から酒に手ひどい拒絶反応をきたして以来酒場により付かなかったグレッグ
にとって、彼女の存在は当初全く知りようも無かった。
 パインブリッジ解放後しばらくして、他所の町から店を出すために移って来て、
偶然シルバーと再会したのだと聞いている。
初めて彼女のことを知ったのは、オフィスから伝言を頼まれてシルバーを探しに
街の中を駈けずり回っている最中の事だ。闇雲にシルバーを呼んで盛り場を走る
グレッグを呼びとめて、ワンダは彼を店に招き入れた。
シルバーはそこにいた。汗びっしょりで息を弾ませるグレッグを面白そうに見つめ
ながら、ワンダに水と蒸しタオルを持ってこさせて、言ったものだ。
「でかい声で呼ばなくても、オレを探すときはまずここに来い」

 最近では町にいる間、シルバーはいつもワンダの部屋に帰る。一応宿は別に取って
あるのだが、たいがいはグレッグが一人で部屋を使うことになった。
 何度となくグレッグも招かれて3人で食事や歓談を共にしたが、ワンダは完璧な
女主人だった。料理の腕は確かでグレッグの味覚は随分と磨かれたし、巧みな話術
を駆使して二人の男を殺伐とした日常から連れ去ってくれた。
彼女を伴って外出するときのシルバーのエスコートぶりも見事なものだったし、
道行く人も二人を非の打ち所の無いカップルと認めていた。少し後ろからついていく
グレッグには二人の姿はなにやらひどく眩しかったが、どうやらシルバーは男と女の
ごく自然でノーマルな有り様というものを、グレッグに身をもって示してくれている
らしかった。

(シルバーってこんな顔もするんだな)
斜向かいの席からワンダを見つめるシルバーを眺めて、グレッグはそう思った。
普段のこの男は刃物のように研ぎ澄まされ、油断無く周囲を見据えている。
だが、今目の前にいるのは、愛する女の最も生き生きとした姿をみて目を細め
安らぎに浸りきっている、ごく当たり前の男の姿だ。
女とは男にこんな顔をさせることが出来るものなのだ。グレッグにもそれは、
曲がりなりにも覚えがあった。シルバーが感じている幸せも、少しは想像できる。
いつか誰かが自分にあんな顔をさせてくれる事も、またあるだろうか。
そんな想いがもたらした僅かな憂愁を払うように、グレッグは自分の膝の間にある
物を見つめた。

全長80cmほど、重さ4kgの鉄の塊。入念にオーバーホールされたそれは、
7連発のポンプアクション式ショットガンだった。
昼間、街中の銃砲店でシルバーがグレッグの為に買ってくれたものだ。
12ゲージのショットシェルを使い、接近戦では絶大な威力を持つ。
「気に入ったか?」
いつのまにかこちらを見ていたシルバーが、微笑みながらそう言った。
「色々考えたんだがな、お前にはその手の武器が1番いいだろうと思う。
連射が効かないし、有効射程も短いから標的にそいつをお見舞いするにはかなり
近寄らなきゃならん。だがハンターは極力、車に乗って戦う様にするべきだ。
徒歩での接近戦が必要なら、ソルジャーを雇えばいい。信頼できるヤツをな。
自前の携行火器はどうしても必要な時だけ使え」

シルバーは右斜め下を向いてふうと短く息をついた。これはこの男がなにか
取っておきの大事な話をするときの癖だ。
「……オレはもうしばらくしたら、ハンターを退役するつもりなんだ。
この町で、ワンダと暮らすことにしたい。そろそろいい年だし、体にも大分
ガタが来た気がする」

グレッグはあらためてシルバーの横顔をしげしげと見つめて、そういえば、と
思った。
初めて会った5年前は女と見紛うばかりだった整った顔にも、最近は細かい
皺がずいぶんと増えた。銀色の滝のようだった髪には、ツヤの無い本物の白髪が
目立ち始めている。成人男子の平均寿命が50歳である事を考えれば、シルバー
はハンターとしてかなり長く現役にある事になる。

「オレが退役するときは、ウルフはお前に譲ってやる。気合を入れろよ。
大破壊前に作られた、現存する最強の戦車の1台を受け継ぐんだからな」
「シルバー!」
呆然として目の前の男の顔を見つめた。あまりの事に、その後は言葉にならない。
「……だから明日からはもっとビシビシお前を鍛えるぞ。まずは戦車砲の扱いだ
手動での装填ももう一回おさらいして置くか―」

「恐ろしそうな武器や戦いの話ばかりなのね、あなた達は」
くすくすと笑いながら、ワンダがボックスへやってきた。ひとしきり喉慣らしが
済んだところのようだ。タイスはそのままピアノに向かって即興のメロディを
モチーフに、次々と複雑な変奏を重ねている。

「また長くなるの?」
そう問い掛けるワンダの目には不安の色があった。
今度いつ帰るのか判らない、そんな狩りに出るのではないかと案じているのだ。
「心配するな、当分は毎日町に帰る事にする。
こいつの訓練に仕上げをしてやるんだ。長い間町を離れると、ついつい雑用や
生活そのものの方の比重が多くなるからな。そして、こいつが一人前になったら
オレは引退する。ちょっと待たせちまったが―」
「本当?じゃあ私も本腰で新しい歌い手を育てなきゃね。お店の子の中にも、
一人か二人はものになりそうな子がいるし」

「ワンダまで歌をやめることはないじゃないか」
グレッグはつい、口をはさんだ。なんと言うか自分でも説明し難いが、彼は
ワンダの歌が好きだったのだ。あるいは、音楽そのものが。
「やめるのとは少し違うわね」
ようやく少年の域を脱しつつある若者に、歌姫は穏やかな笑みを向ける。

「私一人で絶やしたくないのよ。せっかく大破壊の後、今まで生き延びてる
音楽なんですもの。誰かに教えて伝えていきたいの。……シルバーがハンターと
しての何やかやを、あなたに教えておきたいようにね。だから、その為には
私自身が舞台に立つ機会が減るのは仕方ないわ。それに私だっていつまでも
同じようには歌えない」
「『何やかや』とはずいぶん省略した物言いだな」
シルバーが横合いからまぜっ返したが、ワンダは意に介さず受け流した。

「人が次の世代に伝えるのは血だけではないのよ、グレッグ。
生き延びていく中で蓄えた知恵と経験を、伝えられる分だけでもまとめて伝えて
いかなければ、いつまでも人の営みは野蛮で単純なまま。でも、新しい世代が
古い世代の積み上げたものの上から出発できれば、いつか大破壊前のような
平和で豊かな世界を作れるかもしれない。こんな酒場で細々と歌うのではなく、
大きな「ゲキジョウ」の舞台で演奏できるようになるかもしれないわ」

 それはグレッグにとって想像の範囲を越える、不思議な概念だった。自分の
血だけでなく生きた経験が未来へ受け継がれ、新しい世代の礎となる―それは
ともすると彼に、自分の存在が大きな渦の中の一滴でしかないことを痛感させ、
物寂しい気持ちにさせる。
だが、その一方でまぎれもなく自分という一人の存在に確固たる意味―全体と
等しいほどの意味があるのだという晴れがましさをももたらした。
ふとピアノ弾きの方へ向き直って声をかける。
「タイス!タイスはどう思う?誰かにピアノを教えるとか、考えたことは?」

 肉付きの良い顔を夜の色をした濃い髭で縁取った楽士は、うっそりと応えた。
「そうだな。教わりたいと言うヤツがいればいつでも構わんが―
正直、新品のピアノを作れる職人が育ってくれればとも切実に思うよ」
普段は無口な男の思いがけず機知に富んだ言い様に、そろそろ客の入り始めた
店の中がどっと沸く。シルバーがその後を引き取った。
「まったくだ!オレも新型の戦車を設計できる技師が出てきて欲しいな。
北方で最近少数生産してるヤツな、知ってるか?1930年代の基本設計だぞ!」
 グレッグはそれがシルバーの最近よく愚痴る話題であることを知っていた。
人間は子を産んで増えるが戦車は違う。製造できなければ減る一方だ。


 大破壊から100年近く経つが、モンスターはなかなか減らない。ハンターは
次第に世代交代が進んでいるが、肝心の戦車はごく一部の例外を除いて状態が
悪化する一方だった。1930年代と言う数字はグレッグにとって左程の具体性
を持たないのだが、ウルフの設計された年代よりも遥か昔であると言うことは、
おおよそ見当がつく。現在の人類が自前で到達できた工業レベルの限界が、そこ
であるということも。
 頑張らなきゃな、と自分に言って聞かせた。シルバーがウルフを自分に譲って
くれると言うのなら、それはグレッグがシルバーと同等かそれ以上のハンターに
成らねばならないという事なのだ。

「さ、お客さんも増えてきたし、そろそろ今夜のステージの幕を開けなきゃ。
ステラをつけておくから、飲み物のお替わりがいるときは言ってね」
ワンダはそう言い残すと、ボックスから1段下がったフロア中央のステージへと
踊るように滑り出た。客の間から歓声が上がる。
目立たない地味な容姿だがぞくりとするような美声で喋る、ステラと呼ばれた
その娘がグレッグのうしろに立ってワンダに拍手を送った。
タイスの指が鍵盤の上をそぞろ歩き、照明を落としたステージからやや沈んだ
声で、ワンダが歌い始めた。

            



……私の行く事のない 沢山の場所
私の会う事のない 沢山の人

手に触れるなにもかもが 砂のように
指の間から こぼれ落ちてもいいの

この広い世界の隅の隅まで見に行きたい
何処かにいるあなたの手をとりに行きたい―


        * * * * * * * * *

「目標、AT(自動戦車)ミサイルキャリア。距離2000―」
ディスプレイに表示された射撃データを読み上げる、グレッグの声が堅い。
これから火器管制コンピューターのサポート無しに、光学照準による直接射撃で
高い機動性と装甲防御、そして凶悪な火力を備える自動戦車に挑もうと言うので
ある。


            

 ウルフは確かに高性能の素晴らしい戦車だが、決して万能ではない。
原型となった車輛本来の設計サイズより1割程度コンパクトに作られてはいるが、
それでも狭い場所に楽々と入っていけるほど小さくはないし、主砲の120mm
ライフル砲はあくまでも水平に近い弾道での直接射撃を目的としたものであって、
市街戦で必要になる遮蔽物ごしに近接目標を破壊するような撃ち方はできない。
 
 ハンターは任務や依頼の内容に応じてクルマを乗り換える必要が出てくるが、
その場合全ての車輛がウルフのように合理化の行き届いたシステムを持っている
わけではないのだ。
「普通のクルマ並の不便さってヤツを、骨の髄まで叩きこんどけ」
シルバーはそういって笑った。

 主砲制御装置のセンサー類が仰俯計と方向計を残してシャットダウンされた。
ガンカメラのディスプレイも落ち、今やグレッグの射撃を助けるのは、シンプルな
直視型の光学照準器だけだ。砲塔上のパノラマサイトのカメラはシルバーが操縦席
からモニターしているから、その指示にしたがって目標の捕捉と射撃を行わなけれ
ばならない。
何度かこの主砲を扱ったことはあったが、ここまで限定された条件で臨むのは
初めてだ。照準器の接眼レンズを覗きこむグレッグの頬を汗が伝う。

 軽戦車に分類される車格を持つキャリアの動きは、やはり相当な物だ。
動きを追って砲塔を旋回させていては間に合わない。敵の進む方向をあらかじめ
予測して砲塔を向け、さらにその速度から予測された未来位置が着弾点になるよ
うに撃つ。
これが動く目標を捉えるための技、偏差射撃だ。

 キャリアが長めの直進に入ったところをかろうじて照準に捉える。
クロスヘアの中央に映るそのシルエットが進む次の瞬間をめがけ発射スイッチを
押しこむと、グレッグの左側で砲尾が衝撃と共に後座した。

120mm徹甲弾が砲腔を駆け抜け、外れた装弾筒が空中に放り出される。だが、
着弾の瞬間キャリアはそこに居なかった。急激に転進、加速して予測位置から外れ
ウルフに向けて中型ミサイルを2発放っていたのだ。
「しまった!!」
高速で飛来するミサイルを大型の戦車が避ける術はない。
辛うじて防御プログラムと連動した砲塔上の22mmバルカン砲が一発を叩き落し
たが、軌道をずらした2発目のミサイルが車体側面に当たって爆炎を上げた。
「うわっ!?」
瞬時、死を予感して目を閉じる。

 だが、次の瞬間ウルフは何事も無かったかのように煙の中を抜け、シルバーの
コントロールで砲塔をミサイルキャリアに向けていた。
「しっかりしろ!AT相手ならこの程度のことは当たり前だ。ウルフでなかったら
お前は今ので死んでいるぞ。次は外すな!」
ヘッドセットにシルバーの厳しい叱責が飛んだ。ウルフの車体を覆う二重装甲の
隙間には発火しにくいディーゼル燃料が入っている。キャリアーの放ったミサイル
は成形炸薬を弾頭に持つ化学エネルギー式で、その種の攻撃に対してこのクルマは
まず完璧な防御力を持っているのだ。
緊張で干上がった喉に無理やりに生唾を飲み込み、グレッグは2発目をキャリアー
に放った。

 彼我の距離が縮まっていたことも幸いして、今度はさしものATも120mm徹甲弾
をかわすことはできず、残りのミサイルもろとも炎上した。
 ガンカメラに接続されたヒットカウンターに、新たな撃破記録が刻まれる。
そのカウンターはオフィスで新しく支給されたグレッグのIDの車載用だった。
シルバーは着実にグレッグの為にハンターとしてのお膳立てを整えてくれて
いるのだ。

「よし、いいぞ。今の感じを忘れるな。便利な機械は複雑な分故障しやすいが、
手動で的確に射撃できれば、火器管制装置に何か不都合が起きても切り抜けられる。
より困難な状況でも勝てるように、常に自分を鍛えておくんだ」
ヘッドセットからシルバーの訓示が聞こえてくるが、グレッグにはとてもそんな
風に上手くやれたとは思えなかった。
「シルバー、もっと撃たせてくれ。このままじゃすっきりしない」
「……意気込みは買うが、もう1台見つけられればの話だ。
もうだいぶ日も傾いたし門が閉まる前にはパインブリッジに帰らんとな」

帰る途中目を皿のようにして周囲の監視を行ったグレッグだったが、戦車砲を
使うほどの敵は発見できなかった。


 だが、その代わりにグレッグが見つけた物があった。暮れ始めた空にもなお黒く
たなびく一条の煙。誰かが撃破したATや山賊の車輛かとも思ったが、通信機に
飛びこんできたオフィスからの緊急連絡がその可能性を打ち消した。

(パインブリッジ・ハンターオフィスより付近のハンター、ソルジャーへ。
オフィスよりの特命で未確認の武装犯罪者を探索中のダグラス・マスターソン
および麾下のソルジャー5名が2時間前に連絡を絶った。正体不明の敵に撃破
されたものと思われる。警戒しつつ捜索、確認に当たられたし―)

「ダグか……!」
シルバーの声が震えた。一昨日パインブリッジに入る時にすれ違った6輪装甲車の
主だったハンターの名だ。
(こちらキルロイ・シルヴァーバーグ。マスターソンらしき炎上車輛を発見。
これより確認に向かう)

深まり行く夕闇の中、銀灰色の車体を残照の紅に染めてウルフが走る。
グレッグのハンター修行時代の終わりを告げる、過酷な一週間が幕を開けようと
していた。



琥月の感想

「走らぬなら」
「はがしてしまえ」
「装甲を!!」


信長・秀吉・家康のアレみたいですね(笑
いや、確かに走らないなら装甲ははがすんですけどね(^^;

今回のお話は外伝2ってことで外伝1にあったグレッグの昔話の続きでしたね。
シルバーと一緒にパインブリッジを出たあの日から5年が経ち、再び街に戻ってきた頃の話。
そしてグレッグにマイヤーという姓がつけられた日…
シルバーの愛車ウルフは本編じゃ出てこなかったですし、どうなってしまうのか気になるところですねぇ。
次回も楽しみにしてますよん♪

バランスさん、ありがとうございました。m(_ _)m

今回もバランスさんから送られてきたHTMLファイルを引用させてもらいました。

バランスさんへの感想はこちらです

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