「あ、いらっしゃい。おひさしぶり、元気してた?あ、座って、座って、今コーヒー煎れ
るから。
え?急いでいるから立ったままでいい?はぁ、忙しないわね。まぁ、とにかく座りなさ
いよ、凄く良いコーヒーが手に入ったんだから。代用の大豆じゃなくて、本物のコーヒー
豆なんだから。
え、いらない?本当に急いでいる?
はぁ、サユリがそんなに慌てるなんて、よっぽどのことね。
しょうがないわね〜で、何が知りたいの?最近面白いニュースなんてないわよ?
え?ニチェス最高の情報屋?なんでも知ってる?あらあら、おだてたって何も出ないわ
よ。まぁ、愛想ぐらいなら出るかもしれないけど。
で、よっぽどのことなんでしょ?
分かってるわよ、依頼人の事情は一切聞かないのがあたしのポリシーよ。でもさぁ、ち
ょっとぐらい教えてくれないと、こっちとしても何を教えたらいいか分からないってわけ。
わかってるわよ、絶対に秘密は守りますぅ〜。だから、ちょっとだけでいいから教えて
よ。誰にも言わないからさ。
え、街の最高機密?どうしてもダメだって?ねぇ〜そこをなんとか。
え?これ以上詮索すると命の保証はできません?ふふっ、あたしも嘗められたものねぇ
〜そんなことぐらいであたしが引き下がると思って?
え、マイをけしかける?ちょっとぉ〜卑怯じゃない、冗談じゃないわよっ!
なに?そんなにマイが怖いかって?そりゃあ〜怖いわよ。あたしもこの仕事は長いほう
だけど、マイの話はよく聞くわよ。もうっ!わかってないわね!あれは本当にヤバイんだ
から!そうねぇ〜、その名前を聞くだけで死にそうになるくらいかしら。
あ、ごめん、ごめん。もう友達の悪口は言わないからさ。そんなに睨まないでよ。
とにかく急いでいるから早く仕事の話に入ろう?
わかったわ、しょうがないわねぇ〜。
それで、何が知りたいの?この街のことなら何でも知ってるんだから。
はぁ?腕利きのハンターを紹介して欲しい?
ふ〜ん、まぁ別にそれもしてないわけじゃないけど、どうして?市の安全保障担当補佐
官だっけ?サユリ?偉くなったんだから・・・普通にハンター協会の偉いさんでも呼びつ
けて依頼すればいいじゃない。
非公式ってわけ?
分かってるわよ、詮索したわけじゃないわよ。ちょっと気になっただけ。
ふ〜ん。で、サユリはハンターに何をさせたいわけ?
ハンターにもいろいろあるからねぇ・・・何をさせたいか教えてくれないと。
OK、OK、絶対に秘密は守るわ、あたし達親友でしょ?情報は売っても友達を売った
りはしないわ。うん、ありがとう。
ふむふむ、なるほど、はぁ〜そりゃ大変だ。直ぐに手配しないとね。
条件に適うハンターはほとんどいないわね。まいったな〜、ハツネは死んじゃったし、
タチカワは行方不明だし、ヒロは暢気に放浪中だし、まったく!何考えてるんだか!
あ、ごめん、ごめん。今のは独り言、独り言。
この条件に適うハンターは今のところ一人しかいないわ。
フライ・シュッツ、魔弾の射手のエディフェルしかないわね。こんなことできるの。
はい、これ住所だから。グーデリアン街31番地、わかるでしょ?
え?知らない?
ちょっとー自分の街でしょ。しっかりしてよ!
はい?エディフェルの方?あ、それはまた失礼。
えーっとね、エディフェルは最近急上昇中のエースなのよ。そうね〜あたしやサユリと
そうかわらない歳なんだけどね。とにかく凄いのよ。いわゆる何でも屋っぽいんだけど、
ほんとに何でも屋なのよ。トレジャーハンターやマシーナリ、運び屋、コンボイ護衛、
ETC、ETC。とにかく何でもこなす、今時珍しいタイプね。
あ、最近じゃね。ハンターって言ってもいろいろあるのよ。ただひたすらモンスターを
狩りまくるマシーナリ・ハンターや遺跡荒し専門のトレジャー・ハンター、運び屋に徹す
るハンターも最近増えてるし、要地警備やら何やら。ほんと、最近は専門化しちゃって、
てんでばらばらなのよ。
今回の条件に入るエディフェルはちょっと古いタイプのハンターなのよ。ハンター業が
専門化する前の、所謂モンスターと戦うのは何でもハンターっていう時代のハンターなの
かな?とにかく何でもやれるってタイプなの。
こういうのを『何でも屋』っていうんだけど・・・最近は少ないわね。何でも出来るっ
ていうのは逆にいえば何でも中途半端になりかねないでしょ?
だから最近じゃお仕事を専門化して1極を極めようとするわけ。まぁ、賢明よね〜あた
しが情報以外に何か極められるなんて、ちょっと考えられないしさ。山が高くなればなる
ほど上れる、極められる頂は少なくなる。ましてやハンターなんて、1つも極められない
うちに死ぬかもしれないんだからね。専門化はむしろ当然なんだけどさ。
つまりエディフェルはその中でも例外、ほんとに何でも出来る万能のハンターってわけ。
仕事も速いしね、一度うけた仕事は何があってもやり遂げるし、信頼していいわ。
ん?仕事料いくら?さぁ?大体こんなもんじゃない?
高い?知らないわよ、でもこんな危ない仕事ならこれくらいが相場じゃない?他にも危
険手当とか、必要経費とか。釈迦に説法かも知んないけど、戦車はお金がかかるのよ。
ほら、ため息なんてつかない。機密費とかいろいろあるでしょ?
は?もう遣っちゃった?結構な額でしょう?何に遣ったのよ?
はぁ。マイが壊した街の修繕費?ああ、サユリも大変ね。
一度がつんと言ったほうがいいんじゃない?
ユウイチさんがもうやった?ああ、マイの彼氏だっけ。
あ!思い出した!そのユウイチって奴の耳寄りな情報があるんだけど。スクープ写真付
き。どう?今なら3割引。
はいはい、毎度ありー。
え?どうして持っているかって?ふふん〜シホちゃんの情報網に不可能はないのよっ!
まっ、別件でホテル街ではってたら偶然ふらふら歩いてきたから写真に撮っただけだけ
どね。えーっと、腕組んで歩いてる娘、確かカオリちゃんだっけ。まぁ、どうでもいいけ
どね。
うん?いいよ、口止め料さえ払ってくれれば。OK〜交渉成立ね。
そういえば、お金無いんじゃなかったの?ポケットマネー?いいわね〜実家がお金持ち
って。
あ、コーヒーが入ったみたいね。
そこのカップ2個取ってくれる?
え?急いでいるから今日はいいって?
ちょっとー、そりゃないんじゃない?もったいないでしょ!
あ!ちょっと待ってよ!
・・・・・あ〜あ、どうしよ、こんなに飲めないわよ。
しょうがないわね〜。アカリ呼んでこよっと」
人ごみでごった返した雑踏に吹く風は潮の香りがした。
潮の香りに気を取られて、立ち止まったエディフェルは人ごみの海の孤島になった。
鼻をくすぐる風は潮味が効いている。
懐かしい、全ての根源たる海の風がたまらなく肌に心地よい。
しばらく、立ち尽くしたエディフェルにまた風が吹き寄せる。
今度は・・・人ごみに揉まれた風。
潮味が抜けた風は、代わりに人の臭いが染み付いている。
それは、活力に満ちた風だ。
肺を満たした風が次の躍動を生む。
海から吹きつける風は潮の香りを街に残して、代わりに街に住む人々の躍動を抱えて砂
漠の空に消えていくのだ。
すんすんと、普段はセーブしている嗅覚の鋭度を細くする。
更に、自分の心臓の音すら把握できてしまう聴覚も鋭く尖らせる。
具体的には鼻を高く掲げて、耳をひょこひょことさせただけだが。
その仕草が雑踏の流れに混乱を呼ぶ。
その仕草に硬直してしまう者は10や20ではないのだ。雑踏は修復不能なまでに千路
に乱れ、カメラを取りに家へ駆け戻る不届き者が更に混乱に拍車をかける。
亜人など珍しくも無い昨今とはいえ、ベースが違う。エディフェルも多少の自覚がある
ので、気を付けているが・・・たまに忘れてしまう時がある。
例えば、とてつもなくお腹が空いている時に、運良くとてつもなく美味しそうな料理の
臭いを嗅ぎ当ててしまった時などがその時である。
犬科亜人種ほどではないにしろ、猫科亜人種のエディフェルの嗅覚は、風に混じるいろ
いろな料理の臭いを的確に嗅ぎ分けていた。
太陽は天頂、建ち並ぶ食堂はどこも満員。活気のある街。
その中をエディフェルは、魚のようにゆらゆらと舞う。
エディフェルは昼食を摂るために家を出る時には、何を食べるかは決めないことにして
いた。飲食店街に着いたとき臭いを嗅いで、その日食べるものを決める。
それがエディフェルのささやかな拘りだった。
そういうわけで、エディフェルは美味しそうな臭いに釣られてふらふらと路地裏に入っ
ていった。
臭いの源泉を思い浮かべて、頬を緩ませる。
普段笑うことの少ないエディフェルでも美味しいものを食べるときは気分が緩む。
自然と足取りが軽くなり、無意識のうちの鼻歌まで歌っていた。
物静かな、悪意のある言い方をすれば、暗いと言えなくも無いエディフェルの行動とし
ては明らかに異常だった。
このままでは砂ぼこりのするコンクリート張りの裏通りでスキップを踏みかねない。
つまるところ、おいしい料理に勝てる者など、そうはいないのだ。
魔弾の射手として恐れられているエディフェルとて例外ではない。
普段から砂漠で、粘土の親戚のような携帯食ばかり食べているエディフェルにとってオ
リオン砂漠最大の都市、ニチェスでの外食は数少ない楽しみのひとつである。
50年前までは人間に仇なす無人戦車の工場として稼動していた第七地下無人工場は伝
説的なハンター、ミハエル・ビットマンとその仲間によって激戦の末陥落、現在では二チ
ェスというオリオン砂漠最大の都市として栄えていた。
山を丸ごと刳り抜いて造られた地下無人工場を中心に半月状に広がる、白の街並みを擁
する二チェスは無人兵器工場時代の要塞を基に発展してきただけあって極力無駄を排した
機能的な設計が成されている。放射状に広がる大通りを柱に横へ蜘蛛の巣のように道路が
整備され、街は有機的に接合されていた。
エディフェルが今いるのは七本ある大通りの1つ、魚市場に隣り合う形で飲食店が集め
られた街路、ビットマンの仲間の名を与えられた『ハルム通り』である。
現在でも稼動し続ける地下兵器工場から吐き出される武器を求めて、オリオン砂漠内外
から集まる客の胃袋を満足させる為の巨大な飲食店街だった。
その一角、エディフェルのお目当ての店は地元の人間しか知らない通好みの場末の店だ
った。
曰く、『人肉酒家』
拾ってきたらしい裸体の美女の看板に赤で書きなぐられている店名が、少しあれな店は
エディフェルも知っている有名な中華料理屋だった。
外も中もぼろぼろの汚い店だが、不思議と人を落ち着かせる何かがある店構えの、不思
議な中華料理店は今日も行列が出来るほどの大盛況である。
エディフェルの嗅ぎ当てた今日の昼食は店の中ではなく外、ずらりと行列が出来ている
ほど美味しい、店先で売られている肉まんだった。
既に辺りは肉まんを手に入れて頬張る亜人種たちで溢れ返っている。
ふっくらとした肉まんが割られる度にこぼれ出る肉汁の臭いで、エディフェルはうっと
りとしていた。
ふらふらと吸い寄せられるように、肉まんに吸い込まれていくエディフェルは最早肉ま
ん以外何も見えていなかった。
その所為で、エディフェルは思わぬ不意打ちを受ける羽目になった。
意外な人物が肉まんの前に立ち塞がっていたのである。
「・・・マコトさん?」
「あっ!」
店先に出来ている行列の最前列にいるのは少し前にいっしょに仕事をした知り合いのハ
ンターだった。
マコトも相当に不意だったのか、驚いた表情をしている。
双方共に出会い頭の衝突と混乱。
先に立ち直ったのは冷静さを失わなかったエディフェルの方だった。
「マコトさんもお昼は肉まんですか?」
「あう〜。そ、そうなの。あはははは〜」
何か、どこか引っかかる乾いた笑いが路地裏に木霊する。
場所が場所でなければ、黙って受け流すことが出来るかもしれないが、あいにくとここ
は行列の最前列だ。暢気に笑っていると張倒されかねない。
とくに食べ物関係で待たされるのは、待つ事の苦痛の中でも1位、2位を争うのだ。
直ぐに怒気を孕んだ、険悪な空気が二人の肌を刺激する。
「そ、それじゃあ〜」
そそくさと、敏感に場の空気を読んだのか、マコトは立ち去った。
エディフェルは某と、表通りの雑踏に消えるマコトの背中を見送った。
どこか、その背中には釈然としないものがある。
とはいえ、エディフェルにはどうでもいいことだった。
今は話をしている間にも増殖してしまった行列に加わることの方がずっと大切である。
「ねぇ、あんた。今の娘の友達かい?」
列に並ぼうとしたエディフェルは不意に呼び止められた。
「・・・はい」
友達かと聞かれたらいいえ、と答えるしかないが、一応命を助けたこともあるので、全
く無関係と言うわけでもない。それに、それではあまりにも情がないと思ったのでエディ
フェルは、はいと答えた。
「これ、持っててもらえない?」
ひょいと、肉まんが入っている白い紙袋を放られる。
肉まんを店先で売っているおばちゃんは困ったように頭を掻きながら言った。
「さっきの娘さ、肉まん買ったまま忘れてったんだよ」
「はぁ」
ずいぶんとおっちょこちょいな話である。
もっともエディフェルとて、その経験が全く無いわけではなかったが。
何はともあれ、一度友達であると答えてしまった以上、断るわけにはいきそうにない。
残念極まりなかったが、肉まんはあきらめるしかないらしい。
しかたがないですね、と微かにため息を漏らして、エディフェルは了承した。
「あ、それと。あの娘大丈夫なの?」
「・・・何がですか」
「うーんとね、あの娘。肉まん一つ分のお金で二つ買えないかって、値切ってきてね。別
に珍しいことじゃないけど・・・ほんとに困っているみたいだったから」
「そうですか・・・今度聞いてみます」
「うん、それがいいね。頼んだよ」
頼む、と言われても正直迷惑なのだが、こうなったらどうしようもない。
微かに漏れるため息を隠しつつ、エディフェルは肉まんを一個おまけしてくれたおばち
ゃんを後に、マコトを追いかけた。
なんだかいやな感じがする。
唐突にやってくる何かはマコトを小さく震わせた。
心臓の音が、五月蝿くてしょうがないくらいに鳴っている。
心臓の刻むビートを縫って、冷気が骨身に染み込んでくる、この感覚。
それはいつも突然やってきて、マコトを不安にさせる感覚。
背筋が寒くなる、肌に湿り気が纏わりつく、足が急に重くなる。
何か嫌なことがある少し前にいつもやってくるこの感覚。
マコトはそれがとても嫌いだけれど、あの人はこれを感じるようになると、とても喜ん
でくれた。
『もう一人前ね、マコト』
それはあの人がいた最後の日の一言。
そう言われて、とても嬉しかったのを今でもはっきり覚えている。
そう言われて、なぜか寂しかったことを今でもはっきりと覚えている。
そう言われて、どうしようもないほどに、あの嫌な感触が背筋を凍らせたことを今でも
覚えている。
その後すぐ、あのひとはいなくなってしまった。
これは不吉の前触れだ。
そのことに気が付いたのは、あの人がいなくなってからだった。
マコトは怯えていた。この感覚は何かを失う前兆なのだ、と。
もう失いすぎて、何も持っていないけれど。それでもまだ、失うものは残っている。
自分で制御できない胸の動悸を懸命に押さえ込んで、近づいてくる悪寒から自分を守る
べく、マコトは駆け出した。
エディフェルは冷静さを失いつつある自己を冷静に見つめていた。
急速に狭くなる視界、何者も侵されない無音化世界、街路を埋める料理店の美味しい匂
いは消え去り、もはや獲物の匂いだけしか分からなくなる。
これはまずい兆候だ。
エディフェルはきっぱりと断じた。
狭い視界は側面からの不意打ちを誘うようなものであるし、音は重要な危険察知手段で
ある。嗅覚もそれに同じだ。
それらを失うことはエディフェルにとって恐怖以外のなんでもない。
だけれども、一度こうなってしまうとエディフェルにはどうにも押さえがたい。
猫科亜人種の持てるポテンシャル、その全てを発揮できるように。無意識のうちに体が
そうなってしまうのである。
戦う為だけの肉体、狩る為だけの肉体。
それは最早変体と言って差し支えないほどの変化である。
本能が戦闘用に肉体を切り替えるのでなく、本能は肉体を戦闘用に作り変えるのである。
―――――狩猟者の本能
本能の命じるままに、より戦闘に適した、戦闘兵器の部品となるべく肉体は変体する。
血流は逆立ち、筋肉は生物として明らかに不適当な動き方をするようになる。鼓動のリ
ズムさえ変化させ、それにより呼吸すらできなくなる。全てを、自身の人間性すら捨てて、
戦うことに集中させる。
余分な情報を全てカットして、戦うために必要なことだけを世界から完璧に読み取る為
に神経伝達経路すら本来ありえないバイパスを築き、高速で回転する。
その美しさのそれは、野生の獣に似ている。
あまりにも純粋で、無駄を一切排したそれは芸術的ですらある。
だが、エディフェルは知っている。その切り捨てられた物の中にこそ、生死を分かつ決
定的な要素が含まれていることを。切れすぎる刃が実戦に向かないように、あまりにも戦
いに特化しすぎたそれは、致命的な弱点をかかえていることを。
同じ亜人種のハンター達が戦闘中に陥る致命的失敗をエディフェルは何度も見てきた。
一度外れてしまったら最後、引くことを知らない狂戦士が行き着く先は墓場しかない。
狩猟者に必要なのは燃える闘志ではない、どこまでも冷徹な意思なのだ。
精神修養、セルフコントロールの訓練は毎日の日課である。
そうであるにもかかわらず、エディフェルは衝動に満ちた暴走に身を任せていた。
駆けるエディフェルに踏まれた大地は抗議とばかりに盛大な砂塵を吹き上げる。
―――――疾走
爆発的な加速はエディフェルの姿を常人の視界から消し去った。
10メートルの距離を一蹴にして0メートルへ。
黒い弾丸と化したエディフェルだったが。加速は長く続かない。
昼飯時の『ハルム通り』は人ごみに埋もれている。
エディフェルの進路を塞ぐようにして流れる人の流れは苛立たしく、エディフェルの理
性をほんの少し削り、同時に得たばかりの弾丸速度を大きく削った。
急減速を余儀なくされたエディフェルはそれでもまだ、スピードを保った肢体をゴム鞠
のように弾かせ、人ごみを回避した。
続く人盛りも驚異的なフットワークで全て回避しきった。
だが、全ての障害を回避した後には全くスピードは残らない。また一からやり直しであ
る。
ゼロに程近いまでに減速を余儀なくされ、再び同じ無意味な加速を繰り返そうとする自
分と、追跡中の目標との間に開いた距離を認識してエディフェルは溜め息をついた。
―――――速い、速すぎる。
エディフェルが肉まんの入った紙袋を片手に追いかけているのはもちろんマコトである。
かれこれ15分、マコトの背中は遠くなる一方で、ついにエディフェルは制御限界まで
能力を開放しなければいけない羽目に陥っていた。
始めは軽い気持ちだったのだ。
横目で探った肉まんの残数と行列の長さから勘定して、もう余裕が無いことは分かって
いた。
その為にいつもは使わない亜人種の身体能力を一部開放して、マコトを追いかけたのだ。
速攻で追いつき、速攻で肉まんを渡し、速攻で列に並ぶ。プランは完璧なはずだった。
エディフェルは何の疑問もなく、成功を確信した。
思えば、それがいけなかったと思う。
何故か、直ぐに追いつけるはずのマコトが急に離れていったのである。
急ぐためにこちらも速度を上げ、するとマコトも速度を上げる。それに対抗してエディ
フェルも速度を上げ・・・ずっとそれの繰り返し。
とりあえず、道を塞ぐ人盛りを全て跳ね飛ばして直進すれば、追いつけるかもしれない
が、そんなことをしたら折角の休日を留置所で過ごすことになる。
回避の度に速度を落とし、また加速して、回避して減速する。
いいかげんにエディフェルは疲れてきていた。
いくら猫科亜人種の驚異的な心肺能力があっても、全速で走れる時間はそう長くない。
何よりも、エディフェルの士気を挫いているのは、マコトの異常性だった。
エディフェルが全力で走っているのに、マコトは"歩いているのだ。"
エディフェルの限界まで引き上げられた視力を以ってしても、マコトは歩いているよう
にしか見えなかった。
どう考えてもおかしい。何かがおかしいのだ。
何か、異常な、別のルールが働いている。そうでなければ、砂塵を吹き上げるほどの速
度で走る自分を歩いて引き剥がすことなど物理的に不可能なはずなのだ。
なのにマコトは歩いているようにしか見えない。
なにか、トリックらしいものも見当たらない。
エディフェルの直感は正しかったが、気付いたところでどうにかなるものではなかった。
エディフェルの苦悩をよそに、二人の熾烈な追いかけっこは唐突に終幕を迎えた。
終焉を告げる垂れ幕の様に、道に降りているのは黒と黄色のストライプが入った一本の
棒。
一切を寸断するように、鉄路と遮断機が鎮座している。
二チェスはオリオン砂漠唯一、鉄道が敷かれている街なのである。工業用の小さなもの
であるが、それでも十分に迫力のあるディ―ゼル車と転輪の轟音は他の全てを圧倒する。
唐突な、それこそあっけない終わりにエディフェルは安堵した。そして何時の間にか本
気を出していた自分を恥じた。
よくよく考えてみれば、普通に声をかけて呼びつければ良かったのだ。
何をムキになっていたのだろうか。
軽い頭痛と眩暈を覚えながら、エディフェルはマコトに追いついた。
マコトの小さな背中に歳相応の少女らしいものを感じ取ってエディフェルは安堵した。
あれは何かの間違いに違いない。
自身の目の良さに疑いは無かったが、エディフェルはそう思うことにした。そうでなけ
れば、やっていられない。
最も直ぐに、そんな無根拠な思い込みは吹き飛ばされてしまったが
乱れきった呼吸を整え、声をかけようとした瞬間、マコトはエディフェルの予想を超え
る行動に出た。
―――――漂と
エディフェルの目の前からマコトは消失する。
否、マコトはエディフェルの目の前にいた。ただ、エディフェルはそれにピントを合わ
せることが出来なかっただけである。
ありとあらゆる"ピント"が無効化される。ピンぼけした世界。
そこは何も無く
そこは誰もたどり着けない
そこは誰も理解できない
某、とした漠然の直感が具体的な形を以ってエディフェルを戦慄させた。
それは恐ろしく高度な呼吸法。マコトが用いているトリックは卓越した格闘家や暗殺者が
用いる特殊な呼吸法だった。
目の前に、手の届く距離しかないのに、エディフェルはマコトを捕らえきれない。
確かに見えているし、確かに呼吸をしている。たしかに匂いがある。でもエディフェル
はマコトを実際の存在として認識できない。
全く、根本的に、気配が無い。
確かにマコトはそこに存在している。だがその存在感は雲ような、恐ろしく希薄な、零
に程近いものしかない。
おそらく、列車が通り過ぎるのをいっしょに待つこの群集の中の誰一人、マコトの存在
に気が付いている者はいないだろう。
一見無秩序に見える雑踏でも一定のルールが存在している。
人にぶつからないように進むと言う実に単純なルールである。
これのおかげで雑踏の中で無用な衝突を避けることが出来ているのだが、これに従うか
ぎり枷を嵌められることになる。必ず人が居たら回避しなくてはいけないという枷。
エディフェルは枷をはめたまま突進して、回避の度に減速を余儀なくされた。
もしも、存在を零にして人から認識されないほど存在感を消すことが出来るのならば、
そのルールを無視できる。
ルールの中にいるかぎり、ルールの外にいるマコトに追いつくことは出来ない。
更にマコトはこれに特殊な歩法組み合わせて、変幻自在な移動を繰り返していた。
熟練した空手家の"踏み込み"は4メートルの間合いを一瞬にして零にできると言う。な
らば、ここまで高度な呼吸法を操るマコトがその気になって"踏み込みこんだ"ならば、一
体どれだけの距離を無の淵に消し去るのか。
エディフェルの身体能力に頼りきった走り方では追いつける道理は無かったのだ。
ほんの1メートル足らずの距離しかないのに、無限に近い距離をマコトの背中に感じた
エディフェルは突進する列車の衝撃にマコトの姿が消えても全く慌てなかった。
そのまま静かに列車が通り過ぎるのをエディフェルは待つ。
鉄馬の突進が去ったあとには衝撃の余韻が残るばかりで、赤いリボンをしたキツネ耳の
少女の姿はどこにも無い。
再び、己の営みを再開した雑踏の流れに沿ってエディフェルは進んだ。
無造作に紙袋を開いて、中の肉まんをぱくついた。
もう冷えていた肉まんは美味しくなかったが、それでもいくらかお腹は満たされた。
紙袋をくしゃくしゃっと丸めて近くにあったごみ箱に放り込む。
エディフェルにしては珍しく、苛立ちを覚えていた。それも肉まんのおかげでいくらか
は平たく均される。
なんて、デタラメなのだろうか、あの子は。
エディフェルはそっと笑った。
出会いもデタラメだったが、存在そのものまでデタラメというのは思ってもみなかった。
少なくともこんな化け物じみた技を平気で使うような子じゃなかった筈なのだが、見落と
していたのだろうか?
だとしたら、もう一度あって話がしたいと思った。
会って、確かめたい。こういうのを興味と言うのだろうか、だとしたらとても珍しいこ
とだ。
余分な荷物を捨てて、微かに残るマコトの匂いを追ってエディフェルは歩き出した。
「ぴろ、お腹空いたね」
呟きが空を揺らす。
それは、ただそれだけのこと。それだけしかないこと。それだけの、意味の無いこと。
マコトの呟きに返事はない。
返事はあるわけない。返事などあるはずがない。返事のなど、意味の無いこと。
鋼鉄の墓場は人の存在する余地を与えない。人ならざる者のみがマコトの呟きに沈黙を
以って返事とした。
時刻は夕暮れ、街の外れのスクラップ置き場は夕日の恩恵を受けることなく、冷え冷え
と鉄の骸を闇に曝している。
空には星が瞬き始めていた。
それでもマコトはこの墓標を去ろうとしない。
去ることなど出来ない、マコトの帰るべき家はここだったから。
物言わぬ、亡骸を夜風に曝す装甲車こそ、マコトの帰るべき家だった。
吹き抜ける夜風は鉄の熱意を奪い、マコトの生気を吸い、夜に散らす。
「ピロ、あたし達、どこへ行ってもお邪魔虫なんだね」
半壊したピロは黙して答えない、答えられない。
「ピロ、答えてよ」
何も無い。
「ピロ」
零。
「・・・もう、眠いや」
空の星は今日も満点だ。
ニチェスのような大都会でも、街灯の明りはひどく限られる。星の光をさえぎるものは
何も無い。
この満天の星空こそが大破壊で文明を失った代わりに人類が得た財産かもしれなかった。
「おやすみ、ピロ」
鋼鉄の地肌に確かに友の存在を感じ取りながら、マコトは横になった。
・・・・いい夢、見れるかな
それが、とても無理な注文だとしても、きっとそれは今よりもずっといいから。
・・・・肉まん、食べたかったな
置き忘れてしまった肉まん。きっとそれはとても美味しかったに違いない。
・・・・寒いよ、ユウイチ
暖かい笑顔、優しくて、暖かくて、意地悪で、ずっといっしょにいたかった。
肺に入る空気が痛い
肌を刺す夜気が痛い
夜風が凍みて目が痛い
それは確かに悪意に満ちていて、マコトを刺し貫く。
薄く開けた目には悪意がマコトを見下ろして悠然と立っていた。
凶撃が走る。
淡い星の光に映えるは銀閃の軌跡。
銀の軌跡がとらえるは残像の影。
素早く、体を投げ出すようにして、マコトは攻撃を回避。同時に大きく引いて態勢を整
える。
だが、それよりも早く第二撃がマコトを捕らえた。
大上段から、袈裟切りに、銀の軌跡が伸びる。
さらに大回避。
急な連続的回避で押し付けられた肺から零れた呼気が声帯を異常振動させる。
奇声を上げつつ飛びのいたマコトはようやく凶刃の軌跡から逃れることが出来た。
だがそれでも、まだ相手の攻撃射程圏だった。
弾丸のような、残像すら引かない黒い影は一瞬にて間合いを詰めてくる。
今度は下段。無造作に突き出された一撃は下腹を狙って、直線に伸びる。
マコトは回避ではなく、迎撃を選んだ。
初撃の回避から溜め込んだ熱い気がマコトの手のひらで熱く、ほとばしる。
微かな高揚感が心地よく、浮遊するような心持。故に筋肉が固くなることはなく、完璧
な一撃が襲撃者を襲う。
基本の型から。
左に伸びる腕は、襲撃を叩き落し
右に伸びる腕は、敵に狙いをつけた左腕を支えに一直線に伸びる打突の一撃
常に敵に手を向けて、決して外さない。であるならば、手を伸ばせば其処に敵は居る。
改心の一撃の先には確かに敵は居た。だが、正撃ではない。
突進からの反転、直撃の瞬間飛びのいた襲撃者はマコトの一撃も手伝って、派手に吹き
飛んだ。
よろめくようにして立ち上がった襲撃者は戦う意思が無いことを告げるためのジャスチ
ャーを、ゆっくりと手を上げた。
最も、そんなことをしなくても、とっくの昔にマコトは戦闘を止めていた。
言葉を交わすということは、そういうことである。
「ちょっと!!いきなり何すんよっ!」
そこでようやく無言の襲撃者は口を開いた。
「・・・やはりかわされてしまいましたか」
俯きがちに、全く残念と言うわけでもなく、確認の為にエディフェルは言った。
当然、その悪びれもしない態度はマコトの怒りに油を注ぐ。
「やはりって、危ないじゃないの!」
「でも、全部かわしたでしょう?」
「そういう問題じゃ、ない!」
「こまりましたね・・・」
頬に手をあて、困ったように首をかしげるエディフェルにマコトは毒づいた。
「困ってるのは、あんたの脳みそでしょ。あんた正気!?」
「さあ?どうでしょうか。わたしは何時も人間の正気と狂気について疑問を持っています」
あくまで淡々と語るエディフェルにマコトは絶句した。
前の仕事で助けてもらってから別れるまで1日も無かったけれど、それなりに感触は掴
んでいる筈だった。暗い感じはする人だったけれど、こんな危ない奴じゃなかった。
猫被ってたんだろうか? いや、違うような気がする。
もしも猫かぶってたのなら、あんな暗い調子じゃなくてもっと明るい感じにする。わざ
わざ第一印象を落とすような演技なんて、意味なさ過ぎる。
と言うよりも、もう猫なんだから被りようが無い?
では、どっちが本物なのか?マコトには全く分からない。
少なくとも、いきなり斬りつけて来るなんて、正気じゃない。
マコトが戦慄と、どこか呆れを含んだ表情で見つめたエディフェルは誤解を解くため準備
を怠っていなかった。
「マコトさん、夕飯がまだでしょう?いっしょに食べませんか?」
がさりと、買ったばかりの肉まんの入った紙袋が現れた。
その効果は劇的だった。
「わぁい♪肉ま〜ん」
ほんの僅か1日足らずでマコトの性質、性格を的確に把握する能力。
・・・・エディフェルの人間観察力はかなりのものらしかった。
「なるほど、そういうことですか・・・」
エディフェルは会話を纏め上げた。
既に6個の肉まんはきれいに胃袋の中に収まっている。
ちなみに割合はマコト3、エディフェル1である。
今、会話の潤滑油の役割を果たしているのは、肉まんと一緒に買った月茶である。
荒れ果てた砂漠でも青々と茂る、大破壊以後の新種の草。何故か月の晩だけの花を咲か
せることから月下草と呼ばれる雑草は煎じて飲めば立派なお茶になる。
お茶の葉など手に入らない砂漠でも、人はくつろぎを演出するためにお茶を求め、それ
をまがりなりにも達成したのが、この月茶だった。
満腹のもたらす多幸感と月茶のどこか甘い香りが、二人の間の緊張感を拭い去っていた。
「あれからずっとここに住んでいたのですか・・・・」
有体にいえば、それは良くある話だった。
駆け出しのハンターがよく陥る蹉跌、金欠という奴である。
特に独り立ちしたばかりで経験が少ないマコトはハンターの金銭感覚に疎かった。戦闘
車両の修理にいくらかかるか、全く知らなかったらしい。
前のコンボイ護衛で装甲バギーをスクラップにして、新しく無人兵器軍の装甲車を手に
入れたがいいが、ぼろぼろの大破から修理するのにいくらかかるか知らなかったらしい。
半分も修理し終わらないうちに有り金を全部無くしたと言うのだ。
その装甲車は素人のエディフェルが見立てても、修理よりもスクラップしたほうが早い
ように見える。それも知らずにのこのこ修理屋にそれをもちこんだマコトは全くいいカモ
だったに違いない。
無知は時として罪である。
一文無しになって、お金の払えなくなったマコトは修理屋から放り出されて、スクラッ
プ置き場に捨てられた装甲車で暮らしながら、僅かに残ったお金で今日まで凌いできたら
しい。
だが収入が無いのならいつかは食い詰まる。それが今日だったらしい。
大体は理解できた。でも、理解できないことが1つ在る。
「あの・・・・なんで、自分で稼がないのですか?マコトさんならソルジャーとしても十
分食べていけると思いますけど・・・」
「あう〜そんなの無理。一人で戦車と戦うなんて出来ない」
「無理って・・・マコトさんが無理なら他の誰でも無理と思いますけど」
「そんなことない・・・・そんなことが出来るのはアキコさんぐらいだよ」
アキコさん?エディフェルも知らない単語である。
「アキコさんって誰ですか」
「あうぅ、アキコさんはアキコさんだよ」
マコトは困ったように言った。
どうも複雑な事情があるらしい、それをしつこく尋ねるのは躊躇われた。
過酷な砂漠で生きる以上、生き残るためには、時として法を犯し、人の道に外れるよう
なこともしなければいけないときも在る。知られたくない古傷の1つや2つあってもおか
しくない。
過去を詮索しないのは、荒れ果てた辺境の砂漠に生きる者の暗黙のルールである。
エディフェルも、そのルールを歓迎する者の一人だった。
「・・・ごちそうさま」
「はい、お粗末さまでした」
エディフェルはわざとらしい話題の変更をありがたく受け入れた。
「肉まん、ありがとう」
「いいえ。私、マコトさんの買った肉まん食べてしまいましたから。それの埋め合わせです」
そこでようやく思い出したのか、マコトはすっとんきょうな声を上げた。
「忘れてた・・・食べたかったな、お昼の肉まん」
「人肉酒家の肉まんは直ぐに売切れてしまいますから・・・残念でしたね」
「あう〜でも凄い名前、人肉酒家なんて」
確かに、かなりあれな名前である。大都会の二チェスでもあんな威嚇的な名前を付けて
いるのはあそこだけであるし、亜人専門店など、あれ一軒しかない。
人肉酒家のような亜人専門店はとても珍しいのである。
大昔、亜人がまだ社会に受け入れられずに差別されていた時代ならともかくとして、亜
人無しでは社会を維持できないほど生物種的に衰退した人類の現状と、考古学的調査の新
発見は亜人の差別を過去のものとしている。
当初、亜人種は大破壊の最中にあったと考えられる戦争に投入された生物兵器の生き残
りであると考えられ差別されていた。常人をはるかに上回る身体能力などが状況証拠とな
り、人類が生物種として衰えて、単独では生き残ることが出来ないことを悟るまで、差別
は続いた。
しかし、しぶしぶ亜人種と共存を始めた人類も大規模な都市遺跡調査によって、遺跡か
ら大量の猫科亜人種やウサギ科亜人種、鳥科亜人種などを象ったり、イラストにした生活
用品やカード、フィギュア、ゲームなどの発掘品が大量に発見されたり、猫耳やウサギ耳
のコスチュームが見つかり、実際に大破壊前の人類が身に付けているところを写した写真
等が大量に見つかるに及んで、意識の大変革を余儀なくされた。
それらの大量の発掘品によって分かったことは、大破壊前から亜人種達は広く社会に受
け入れられ、逆に人類の方が亜人種を象ったコスチュームを身に付けるなど、積極的に亜
人種達と交わろうとしていたという全く意外な真実だった。
それらの情報が広く社会に浸透し差別も無くなり、今では人間専門店や亜人種専門店な
ど影も形も無くなってしまったのである。
「大昔の名残みたいなものです・・・・今度、いっしょ行きませんか?」
「あう〜、いくいく〜♪」
嬉しそうにころころ笑うマコトのそれは歳相応の少女のものだ。どこを見てもハンター
らしい野戦慣れした埃っぽさは無い。
あれは何かの勘違いじゃなかったかと思いそうになる。
昼間のエディフェルの追跡を振り切った体術といい、さっきのエディフェルが会心と認
める襲撃をかわして、さらに反撃してきた時の打突の切れといい、どう考えてもマコトに
出来ると思えないのだ。
それでも確かに、手足に残る反撃の一撃がもたらした痺れは本物である。
嬉しそうに笑うマコトをエディフェルはやさしく微笑みながら見つめた。
演技・・・・いや、これは違う。これは心からの笑顔だ。演技などでは絶対にありえな
い。
だとしたら・・・なんて、アンバランスな人なのだろう。
「とにかく、私の家に行きましょう。ここにいては凍えてしまいます」
「・・・いいの?」
「はい、ちょっと狭いですけど」
「でも・・・ピロを置いていけない」
マコトは言い澱んだ。
確かに、目を離している間にピロはスクラップにされかねない、でもここはスクラップ
置き場で、ここにおいてある以上スクラップになるしかない。急いでパーキングに持って
いかないといけないのだが・・・問題は、駐車料金を払えるかどうかである。
エディフェルの仕事はうまくいっているほうだが、お金を貸して上げられるほどの余裕
は無かった。重戦車のティーガーがひどい金喰い虫だからである。
折角立ち直りかけた空気が再び沈鬱に沈みこむ。
解決策も無く、黙りこむ二人の間の沈黙を破ったのは能天気な、どこか底が抜けてしま
っている笑い声だった。
「あははー、お困りのようですねー」
墓地のような陰気なスクラップ置き場にその笑顔はあまりにも似合わない。似合わない
からこそ、マコトもエディフェルも飛び上がらないで済んだ。陰気な夜のスクラップ置き
場は風の声さえ、臆病な人間には耐えられないほどの恐怖を伴っている。
青白い幽霊ではなく、鋼鉄の墓標の影から出てきたのは見知らぬスーツの少女だった。
最もその姿だけをとるのなら、なかなかに魔的だ。夕闇に溶け込んだ黒のスーツのおか
げで首から上だけ、笑顔の張り付いた生首にも見えなくは無い。
「あんた、だれ?」
「あなた、誰ですか?」
妙にタイミングよく二人はハモった。
「ふぇ?サユリはサユリですよ」
「そうじゃなくて!あんた一体なんなのよ!」
「ふぇー、サユリはちょっと頭が悪い普通の女の子ですよ」
「そんなこと聞いてないわよっ!」
堪忍袋がお世辞にも大きいとは言いがたいマコトは怒髪天をついた。
エディフェルの堪忍袋は平均的な大きさだったが、ふざけるのは好きなほうではない。
「冗談はそれくらいにしてもらえませんか、サユリ・クラタさん。いえ、クラタ安全保障
担当補佐官」
凛としたエディフェルの声が弛み気味だった3人の間の空気を締め上げ、凍結した。
微かに鋭度を増した空気にマコトは鳥肌を立てた。
それでも、サユリの笑顔に変化はない。
こんなことではペースを崩すことなどありえないとばかりに、不動の笑顔は全く怯みも
しなかった。
「あははー、ばれてしまいましたねー。流石です、フライ・シュッツさん」
「エディフェルです」
一人だけ会話に取り残された形になったマコトは呟くように言った。
「あう〜マコトは?」
「あははー、あなた誰ですかー?」
「あう〜」
「・・・それで、私に何の用ですか」
もう修復不能なまでに緩んでしまった空気を立て直すのが馬鹿馬鹿しくなってきたので
エディフェルは逆らうのを止めた。
それでも、サユリの事をよく知るエディフェルは油断無く、心の漣を整えた。
弱冠18歳の若さで市長補佐官までに上り詰めたサユリは政治的怪物として恐れられて
いるのだ。用心が過ぎることは無かった。
「えっとですねーお仕事を頼みたいんです。エディフェルさん。こんなところで立ち話も
なんですから、どうぞこちらへ。あ、そちらのお連れの方も一緒にどうぞ」
サユリの指した先には一台の乗用車。
黒塗りの、何の飾り気の無い乗用車だが、大破壊後の世界では乗用車などに乗れる人間
は極々限られる。多くて6人程度しか乗れない乗用車よりもトラックや大型バスが圧倒的
に幅を利かせているのである。
だからそれは本当に珍しい、贅沢な乗り物なのである。
先にさっさと乗りこんだサユリの背中にため息をついた。
一体どういう金銭感覚しているのだろうか・・・エディフェルでさえ乗用車は初めてだ
った。
「こんなの・・・税金の無駄づかいです」
「とっても高そう。税金の無駄使いよね」
「マコトさん・・・税金払ったことありますか?」
「あぅ〜」
二人が乗ったことを確認すると乗用車は走り出した。
忘れられる形になったピロは哀愁を漂わせて、主の帰りをしばらく一人ぼっちで待つ羽
目になった。
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